スポンサーリンク

2014-11-24

ケータイ小説というジャンルがある。若い人たちが携帯(スマートフォンなども含めて、ここではケータイと表記する)を常に持ち歩き、大げさに言えば24時間その画面を見ているようになってきた。その画面で小説を読む、ことがはやりつつある。それらの小説の特徴としては文が短い。1,2行ほど書いて行を空ける。かなり大きな空白をとることがあるが、その空白は意図されたものであり必要不可欠な空間となっている。

若い人の間では、予約を入れたりメモを取る時は、ケータイに打ち込むことが増えつつある。その延長のように見えるケータイ小説もある。

小説を書くこともケータイでできる。アイデアが浮かんだ時はすぐに加筆できる。その場合は、パソコンで書く時よりは、誤字脱字も増えるようだ。ケータイという狭い画面を意識して文の見栄えを工夫しなければならない。背景を黒にして白い文字が浮かび上がるようにする作家もいる。独特のルールを決めている作家もいる。たとえば、主人公が話す言葉は『 』を使い、その他の人の話す言葉は「 」を使う、というようなルールである。絵文字を使う作家もいる。

ケータイ小説の社会的な特徴は、だれでも小説を書くことができるようになったことである。原稿用紙に文字を記して出版社に送り、出版社の編集会議で承認されて、初校・校正・二校・校正・念校、印刷、配本という気の遠くなるようなプロセスをすべて省略して、ただネットにアップするだけで良い。

文壇という小説の作法を定めた権威をまったく迂回して小説ができてしまう。いくらでも新しい試みが行われる。

さて、この傾向はいつまで続くのか。この文体の傾向は永続的に続くのか。それはケータイという電子媒体がいつまで存在するかとも関係する。昔はポケットベルが普及して、高校生達は数字の組み合わせでメッセージを送ったものだった。しかし、その数字の組み合わせによる語彙や文法はいまや廃れてしまった。ケータイも今は、皆が使い、まるで永続的に使われるように思われるが、やはり寿命は限られているであろう。

それに比べると紙を媒介とするコミュニケーション方法には何千年という歴史があり、これからも長く利用されるであろう。ともあれ、ケータイ文化が生み出した文体がどのように紙の書籍の文体に影響を及ぼすか、注目したいところである。

スポンサーリンク