2015-04-17

昨日は非常勤講師の仕事である学校で授業をした。その時のことは昨日のブログに記した。一つ加筆しておきたいことがある。それは日本語の将来についての学生の意識である。

学生に数百年後の世界の言語事情はどうなっているのか質問をした。英語だけが生き残ると大多数が答え、中国語が残ると一人だけの学生が答えた。日本語はどうやら消滅すると予想しているようだ。いろいろと質問していくと、学生の多くは日本語よりも英語が上手になりたい、自分の子どもには英語を一生懸命教えて、日本語の力は少々おろそかになっても良い、と考えていた。一人だけ日本語が英語よりも大切と答えた学生がいた。

この授業の受講者は英語を専攻する学生であり、英語への意識が高いのは理解できる。しかし、日本語への評価が低いのはやや驚いた。このあたり、教員の方からこう考えるべき、などと口をはさむのは洗脳になるので、こちらから学生の考え方について操作をしようということはしない。

ただ言語に関する事実を提示して、それが学生が自主的に考える助けになればと思う。本当に世界の人全員が英語を話すようになれば、ユートピアが出現するのか。言語と思考がある程度、強く結びついているか弱く結びついているかは別として、関連するのは事実であろう。その意味で、先日読んだ『日本語の科学は世界を変える』(筑摩選書)は興味深かった。多様な考え方、感じ方、生き方を保障するものとして、言語の多様性は必要である。

ただ、英語化が急速に進展していき他の言語を滅ぼしていくとしたら、世界の各地の言語を目録化して、記録して、その特徴的な思考を保存しておかねばならない。そして文献も保存しておくべきである。一つの言語文化は必ず行き詰まる。もしも、英語による文明が行き詰まったら、その時の人類は保存されていた言語文化を再度調べ直し、取り入れ直して、行き詰まりの打破を図るのではないか。