今、山口美千代教授の書かれた『英語の改良を夢みたイギリス人たち:綴り字改革運動史1843-1975』(開拓社)という本を読んでいる。有益な本なので第一章だけでも紹介したいと思う。

1870年代にSpelling Bee というコンテストがアメリカで、そして、イギリスで流行した。これは、スペルを正確に述べることができるかというコンテストである。出場者が舞台に立つ。だれかが CAT と叫ぶと、それにたいして、「シー、エイ、ティ」と述べる。それを繰り返して最後に残った人が賞金を獲得するのである。

当時は、ようやく教育が普及して、人々が英語を正しいスペルで書けるかどうかに対して関心が強まった時代であった。そんな、時代背景のもとで、アイザック・ピットマン(Isaac Pitman)が登場した。かれは、表音式速記法(フォノグラフィー)を提唱した。当時は、速記法は綴り字速記法と表音式速記法があったが、かれは音に忠実な速記法を提唱したのである。

かれは同時に英語の綴りの改良も提案した。英語の綴りを表音式に近づける諸提案であったが、それは世には受け入れられなかった。彼は速記法の考案者として世に名を残し、後年にナイトに叙せられた。


以下は私見である。

スペルは表音であるべきか、表意であるべきかという二つの対立する考えがある。英語で表音式の綴りにすると理解しやすくなる。しかし、英語の単語の発音自体は常に変化してゆくのであるから、いつの間にか、音と文字の乖離が再度現れて、そのたびに綴りを直す必要がでてくる。そうなると、時代が変わると以前の書籍は読めなくなることを意味する。英語が昔の文献もよめるのは、綴りを頑固に昔のままに保持しているからである。つまり、綴りは保守的であることでその効力を発揮するのである。

さらには、発音が異なってしまったが、語源的には同じ言葉がある。そのような語のつながりが分からなくなる。

ただ、表意文字から表音文字への移行は世界的な傾向のようだ。韓国も北朝鮮もすでにハングルという表音文字を用いている。ベトナムもすでに漢字は捨てている。日本でも明治以降は繰り返し、漢字廃止論が登場するが、現代ではパソコンの登場もあり、漢字への風当たりもそう強くはない。中国でも戦後の一時期は漢字廃止論があったが、現代では簡体字を使うことで表意文字の使用が決定化した。

英語の表音化を一層進めるという意味では、綴りと発音の一致への動きはある程度は今後も残るであろう。