ポリティカル・コレクトネスとは何か

ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)は、日本語では「政治的に正しい言葉遣い」とも呼ばれる。1980年代にアメリカ合衆国で始まった。アメリカは多民族国家であり、人種の差別に関する表現に敏感であった。そのような背景から、言葉における差別・偏見を取り除くために、政治的な観点から見て正しい用語を使う」という意味で使われている。

つまり、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことである。人間の職業・性別・文化・人種・民族・宗教・障害者・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を意味する言葉をなくすことが目的となっている。なお、ポリティカルコレクトネスや差別語に関する議論はしばしば感情的な議論へと発展しやすい。

性別に基づく語

伝統的に、男性はMr, 女性は未婚はMiss, 既婚はMrs を用いてきた。しかし、女性を既婚、未婚で区分けするのは適切でないとして、統一的にMs とするのが広まっている。ただし、女性の中には、Ms を使うと急進的な女性と見なされることを避けるために、伝統的な用法を好む人がいる。ホテルなどで名前を記入する際には、Ms/Miss/Mrs のように記してあり、顧客に敬称を選ばせるところもある。次のように言い換えが奨励されている。

chairman > chairperson
fireman > fire fighter
policeman > police officer 
serviceman > serviceperson
businessman > businessperson
salesman  > salesperson
cameraman > photographer 
key man > key person
stewardess > flight attendant 
manhole > personhole (このような言い換えは行き過ぎとの批判がある)

geralt / Pixabay

人種に関する語

伝統的に、黒人はNegro と言う表現がされていたが、この表現は差別的な意味合いがあるとして、Black American と言う言い方が使われるようになった。しかし、この表現も差別的であるとして、African American が好ましいとされている。

インディアンは元々はインド人という意味であるが、アメリカの先住民を指す場合があった。現代ではNative American という表現が使われる。

エスキモー(Eskimo)は、本来は生肉を食べる人という意味から差別語であるので、イヌイット(Inuit)を使うべきとの意見がある。しかし、エスキモーは本人達が使っているので問題はないとする意見もある。 

なお、日本では「肌色」と言う言葉は使われなくなった。薄いだいだい色のように人種的に中立的な言葉の使用が奨励されている。

文化に関する語

Merry Christmas!  はキリスト教の文化であるので、Happy Holiday! とするのが広まっている。また、Christmas Card はSeasonal Greeting となっている。Christmas Holiday > Holiday season, Christmas tree >  Holiday tree となっている。(なお、トランプ大統領はMerry Christmas を使おうと言っている)。 また、white Christmas を歌って讃えるのも望ましくないとされることがある。

年号ではキリストに関連する BC, AD (Before Christ とAnno domini) は使わない動きがある。「紀元前」を意味するには B.C.E. (=Before the Common Era)を使うべきであり、紀元はC.E.(=the Common Era)を使うべきとの考えが広まってきている。このブログでもそのことを紹介してある

障害者に関する語

日本語では「障害者」という表現は「障がい者」という表現が望ましいとされている。このブログではとりあえず障害者という言い方にしておく。さらに、子供>子ども のように奨励されている(子どもは、お伴する存在ではないという意味から)。

short > vertically challenged
blind > optically challenged 
handicapped people > challenged people
mentally retarded > mentally challenged, developmental disability

差別語の言い換え

差別語の言い換えは非常に頻繁に行われている。その一つの理由として、言い換えをしても、その語に新たにネガティブな意味合いが含まれてくるので、それを避けるために、また新たに言い換えをする必要が出てくる。 人によっては、言い換えをすることで、それで解決したと考えて、差別の実態の解消への道を遅らせると批判する人もいる。