2014-10-12

先日、イオンに買い物に行ってきた。疲れたので、ソファに腰掛けてしばらく休んでいた。その場所の近くに宝石店のコーナーがあって、いろいろな人が立ち寄るのが見えた。自分自身は宝石には関心はないが、何故に人は宝石に関心を示すのか、その起源は何であるかいろいろと愚考してみた。

(1)宝石の特徴として「身につける」という点が上げられる。衣服のように体温を保つという目的はないので、現代は特につけてもつけなくても問題は生じない。しかし、古代では重要な防具であったと考える。世界には目に見えない不気味なもので満ちあふれていた。古代は人々が病気で急死することも多かったろう。その原因を探るうちに人々は悪霊が取り付いたから、と考えたに相違ない。悪霊から身を守るために、いろいろなお守りを身につけたに違いない。そのお守りはできるだけ権威付けられたもの、例えば、有名な寺院で販売していたとか、希少価値のある石とか、美しく輝く石などは、身を悪霊から守るお守りとして重宝されたに違いない。

子どもには、本当の名前の他に幼児名がつけられる。本当の名前を悪霊に知られたら、あるいは悪意を持った他人に知られて、本名に対して呪いがかけられたら、耐久力のない幼児はイチコロである。偽の名前である幼児名に呪いが掛けられるのは構わない。それは何ら効力はないからである。当時は人々はそのように考え、幼児を悪霊から守ろうとしたのである。

当時、刺青をいれていた部族がいくつかいた。それは装飾というよりも、悪霊よけであったに違いない。耳なし芳一が全身にお経を書いてもらって平家の亡霊から身を守ろうとしたことと似ている。霊験豊かなまじないを身に描くことで、悪霊からできるだけ身を守ろうとしたのである。

(2)また、別の効用もあったろう。時代とともに宝石は価値が高まっていく。戦乱の続く時代は、人々は常に逃げるときのことを考えておく必要があった。不動産は当然だが、動産でも牛や豚や家具類を持って逃げることは難しかった。できるだけ持ち運びのできる手軽な宝石や金銀に変えておく必要があった。

むかし、マレーシアを旅行したときに、金細工の店で人々が熱心に値段交渉をしている姿を思い出した。インフレの進む国では、銀行に預金していてもすぐに価値が下がってしまう。それならば、できるだけ宝石や金銀という形で財産を保持していくのも賢明な方法だと思った。その金細工の店では、足のブレスレット(アンクレット anklet )も売っていた。ふと、この顧客達がアンクレットをつけて必死に戦乱から逃れる姿を想像してしまった。

逃げる途上で、首飾りならば、ほぐして一個一個売っていくことも可能である。長期間にわたって使っていける。つまり、機能としては、クレジットカードや旅行用小切手の役割もしているのである。

(3)さらに宝石は富の象徴になる。お金持ちの人はそれだけ格好良く見えるのである。ベンツを運転する男性はハンサムに見える、とある女性が言ったことを思い出した。宝石を身にまとつていると、まとうだけの生活に余裕のある階層に属しているとのメッセージを伝えているのである。それ故に、その階層特有の優雅さ、上品さを連想させるのである。たしかに、名画と言われる作品でも、農婦が真珠の首飾りをまとって農作業をしたり、イヤリングをした女中が飯を炊いている姿はない。

(4)このように、ソファーで腰掛けながらいろいろと愚考したのであった。しかし、現代では、単に装飾的価値だけを求めて、つまり自分の服装にアクセントということで買い求める人が多い。過去の経緯はどうであれ、現代では新しい解釈で宝石が求められる。